わたしたちのこと

峰村醸造の歴史

日露戦争の終結した明治38年、今の新潟市の沼垂(ぬったり)地区に初代峰村仲蔵が味噌醸造業を創業しました。
当時、蔵の前には栗ノ木川が流れて、原料等の輸送の便が良いことから、両岸に味噌の製造業や、造り酒屋、醤油の製造業等の醸造業が栄え、最盛期には40余軒の醸造蔵が栗ノ木川周辺に軒を並べました。
今でこそ数は減りましたが、この地は発酵の街として親しまれました。

味噌のこと

今多く流通している味噌は、大豆を煮て味噌をつくります。白く色鮮やかでさっぱりとした味噌に仕上がりますが、大豆の旨味を捨ててしまいます。かたや蒸した場合は、味噌の色変わりが早く、旨味の強い個性的な味になります。峰村では昔は、蒸し大豆の味噌作りでした。
「米と雪の新潟らしく、色の白い味噌をつくろう」と思い立ったのですが煮てしまうと旨味が流れてしまう。

そこで、大豆を煮る時間を短くして大豆の旨みを逃さず、熱の通りが足りない分を蒸す工程も加える、半煮半蒸(はんにはんむし)という製法で味噌をつくることになりました。そのことで、色変わりをほどよくおさえ、癖が強すぎるほどの旨味が主張しない、飽きがこない程良い旨味を表現した味噌となりました。加熱殺菌をしていない生味噌なので風味もあり、旨味と風味を兼ね備えた味噌となりました。

漬物のこと

創業以来、越後味噌を造り続けている私たちですが、地元新潟では味噌と並んで「漬物の峰村」としても知られています。 味噌漬の製造は大正10年頃からといわれています。 戦後、味噌の流通は10貫目(約40kg)の木樽で、貨物列車等で各地に出荷していたそうです。その木樽の中にサービスとして、1本だけ大根を入れて出荷しました。 届く頃にはほどよい味噌漬けとなっており、食料がまだ十分に無かった当時にはお客様に大変喜んで頂いたそうです。 この様子に商機を見出した二代目峰村弥蔵が味噌漬を商品化し、峰村商店の漬物歴史が始まる事となります。

時代にあった美味しさづくり

当時の味噌漬けは特に塩分も高く、「塩辛い」味噌漬けでした。 二代目の社長夫人が茶道を嗜むこともあり「塩辛い」だけでなく、もう少し上品な味の味噌漬けは出来ないものかと、砂糖や酒粕等を加え考案されたのが、現在販売されている「熟成味噌漬」です。

定期的に漬け床を入れ替えて味わいを深くしていきます。味噌も贅沢に使用し、しかも何度も何度も切り返すという大変な手間を行います。 手間暇がかかった分、熟成されたその旨味は何とも言えない味わいで、ご飯のお供として愛されることとなります。そして「漬物の峰村」としても知られていく事になりました。醸造の技術は発酵によって、旨味を引き出し、もともとの素材が持っていなかった栄養や保存性が付加されます。 長年培われた醸造の技術と経験を応用し、今では味噌・味噌漬だけでなく、出汁や調味料、お惣菜やお菓子も開発しています。 峰村醸造は日本の伝統ある食文化を担う企業として、更なる美味しさを醸していきます。

沿革

1905年
(明治38年)

初代峰村仲蔵が現在の場所にて創業。味噌の製造・卸業を開始。
仲蔵の仲の字を取り屋号を《マルナカ》とした関東圏への販路開拓を開始。

1920年
(大正9年)

峰村弥蔵が二代目就任。
弥蔵が味噌漬の製造・卸を開始。

1952年
(昭和27年)

株式会社峰村商店を設立。峰村弥蔵が代表取締役に就任。
味噌の製造設備を機械化し、オートメーション化へと転換。

1977年
(昭和52年)

峰村弥平が三代目就任。
東北への販路開拓を開始。

1997年
(平成9年)

峰村悟朗が四代目就任。

2013年
(平成25年)
12月

株式和僑商店ホールディングスへ事業継承。
葉葺正幸が代表取締役に就任。
株式会社和僑商店・今代司酒造株式会社のグループ会社となる。

2014年
(平成26年)
9月

自社敷地内に発酵コンセプトショップ「峰村醸造」をオープン。

2014年
(平成27年)
4月

新潟県月岡温泉地区、新潟地物プレミアムセレクション「旨UMAMI」にて、峰村醸造の商品を展開開始。